第二十番札所 御山
神護山 照谷寺 聖観世音御山の丘陵地帯にある柿畑の中の道を上る.なかなか照谷寺は見えないが,道を上りつめて,いざ見え始めると,寺は広く,墓地が広がる.その中に観音堂,本堂等がある.
御詠歌
はるばると のぼりておがむ いわやさん
いつもたえせぬ まつかぜのおと本尊岩屋聖観世音菩薩について
解説板より一部を引用する. この寺より東北三粁の岩屋山上の岩窟に大同二年(807)平城天皇の御宇に観音堂が建立された事に始まる.本尊岩屋聖観世音菩薩の胎内仏は,平安時代後期康平年中後冷泉天皇の御宇に,朝廷の勅命を受け,源頼義・義家公父子が陸奥の安倍貞任を征伐すべく東征夷蝦人を平定した折(前九年の役(1051〜1062))金沢の柵に会津夷太郎の狼籍が訴え出されたので,その帰路に,京都の石清水八幡宮に,東征の戦勝を祈宣し,胄の前立につけて来た守護仏を,岩屋山の岩窟に奉安し,戦勝を祈願し,苦戦の末に勝利して平定された観音様である.
以上より2点.岩屋観音の起源は,約1200年前の大同二年(807)にさかのぼる.また,胎内仏の起源は,康平年間なので西暦1058〜1065年の間にさかのぼる.940年程度前のことだ.
柿畑
御山の丘陵地帯は柿畑が一面にひろがる.柿の直売店もある.石仏
北御山の集会所には立派な湯殿山,二十三夜塔,古峯神社の野仏がある.日吉山明光寺には,道端から確認できるだけでも,金毘羅山と二十三夜塔がある.
道案内
照谷寺に近くなるといくつかの案内があるので,それらをたよりに参拝することができる.照谷寺自体は,途中見えないので,注意を要する.以下の写真は,出現順だ.巡礼道
石塚観音を出て,東に進む.鶴賀城の南を通り,道のつき当たりまで進む(千石通りに当たる).そこを右み曲がり南へ進む.会津ドームの手前を左折し小道に入る.ここ(上の写真の左のものがある)は,すこし右に(進行南に)ずれがあり正確には十字路ではないが,先に進む.ここ(上の写真の真中のものがある)を右折する.道なりに進むと,ここに寺の入口を表す石柱(上の写真の右側のもの)があり,そこをさらに進むと照谷寺へ到着する.徒歩1時間10分.
会津バスの「南の団地入口」停留所が便利だ.この停留所は,会津若松⇔芦の牧・田島の路線バスが停車する.御山バス停留所もあるが,一日の運行が一本なので,利用は難しい.御朱印
照谷寺の御住職より御朱印を頂ける. 巡礼記
平成十五年(第九日),平成十六年(第五日).住所
福島県会津若松市門田町字御山飯山 3080
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