本学は2023年度に会津大学30周年を迎えます。これを機に、建学の理念である "to Advanced Knowledge for Humanity" の今日的意義を、教職員・学生・卒業生みんなで考えてみようと会津大学University Identity構築プロジェクトを始めました。

今回その一環で、外部有識者10名の方々に「会津大学とは何か?」を大きなテーマにしたインタビューを行いました。客観的な視点からのお言葉を元に、会津大学の存在意義や求められているものに迫っていきます。

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第10回:株式会社会津コンピュータサイエンス研究所 久田 雅之 代表取締役

会津の第三の産業としてITをやる。学生に会津に定着してもらうには、会津から魅力的な会社を生むこと、大学も地元もその支援を考えていくべき

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Q. 会津大学の一期生であり、会津大学発ベンチャー企業の取締役である久田さんを知る方は多いと思います。改めて、学生時代から今に至るまでの会津大学の印象をお聞かせください。

5歳くらいからコンピュータをやっていて、その流れで大学を探していたら、日本で初めてのコンピュータ専門の大学ができるということで、会津大学に入学しました。初代学長である國井先生が求めたのは、「世界のトップ10に入るコンピュータサイエンスの専門大学」。東大でやろうとしていた教育を会津に持ち込み、さらにバークレーやスタンフォードのカリキュラムもミックスして体系を作っていました。世界の第一線で活躍している研究者が会津に来て、その研究者が教育をするということにびっくりしました。当然レベルが高く、とてもではないがついていけない状態でした。自分はコンピュータが得意だと思っていましたが、僕はコンピュータを使う立場の人間で、先生たちはコンピュータをつくる立場の人間。そこに大きなギャップがあったんです。

國井先生は、「最終的に農業・観光に次ぐ会津の第三の産業としてITをやるのだ」しかもそれで、「シリコンバレーのように、世界に名だたる企業をここから出す、それをやるために会津大学をつくったのだ」と、ずっと言っていました。だから「とにかく博士まで行け。博士を取ったら起業しろ」と、そればかり言われていて、言われるがままに博士までいきました。その後、大学の教員にもなりましたが、最終的には國井先生が言っていた「自分で創業して自分の知識・技術・経験を世に役立てろ」という言葉の通りに起業し、現在に至ります。

僕は、初代学長の國井先生の教えをたくさんもらっています。今、会津大学の中に教え子はいないし、ドクターを取った人間でもまともに國井先生に教育を受けたのは僕しかいません。開学の精神や、学生の立場で当時いろいろ教えてもらったことをお伝えするのが僕の責任なのかなと思っています。

Q. 世界・地域・社会にとって、会津大学の存在意義とはどのようなことであると思われますか?

國井先生は、「会津から何かを世に出せ」ということをずっと言っていました。当時インターネットの本当に走り出しのところで、Netscapeもまだない、モザイクというブラウザによるテキストベースのインターネットの時代に、「インターネットを通じて世界にアプローチできる日が来る」という2,30年先の未来を予見していたんです。そこで活躍できる人材を育てるのが会津大学のもともとの始まりだから、「君たちはコンピュータをつくって、研究をしてドクターを取って、そこから新しいモノやサービスをつくって世界に出していきなさい。それが最終的には会津の産業になってどんどん広がって、大きくなれば、県立の大学だから、県に還元される」と。会津の人たちの思い、福島県の人たちの思いを受け継いで、それを形にしなければいけないということをずっとおっしゃっていました。

そこが会津大学の存在意義の原点なのかなと思います。

Q.「地方創生」という観点で、会津大学はどのように貢献できると思われますか?

第10回_久田様2.jpgここは当時から國井先生がすごく悩んでいたところです。というのは、國井先生はコンピュータグラフィックス・大規模データベースで、世界で第一人者の研究者でした。その人が東大から会津に来て、例えば会津の桐を扱っている木工の下駄屋さんのところに行って「何ができる?」と聞いたところで、あまりにもギャップがありすぎて、間に通訳がいないと、とてもではないが話がつながらない状態だったんです。僕らの研究は10年後などに世に出てくるようなテクノロジーだから、そこが目下の地方創生・地域貢献に繋がりづらいところが課題と感じています。 もちろん、僕らは雇用を生み出してはいるし、前の会社では地元の人材を30人くらい雇っていました。そういう側面はありますが、それはすごく小さな話です。國井先生の言っていた「会津にシリコンバレー作れ」「第三の産業としてITを根づかせろ」というのが、一番実現しなければいけないこと。会津大学を中心に経済的な発展を広げるということがあって、そこから地元に対する貢献などが生まれるのだと考えています。会津の産業の根幹を完全に変えてしまうような成長を、ITという僕らのフィールドなら実現できます。年々右肩上がりに成長していく事業も大切ですが、5年後、10年後に大きな成長カーブを描けるのがIT・ICTの魅力ですし、そこを期待してもらいたいと思います。

Q.会津大学は、若者や外国人が集まる場でもありますが、それが地域や社会に対して影響を与えていると思われますか?また、課題意識はありますか?

課題の一つは、「人が残らない」ということです。もちろん日本全体のコンピュータサイエンスの人材を育成しているという意味では貢献していますが、学生は東京の企業に就職していきます。教育して、人材育成して、お金を投じて、ある意味投資をしているのに、その結果が全て東京側に行ってしまっているというのが現状です。これに対する答えはひとつで、僕らが会津にいて、その人たちを引き付ける魅力的な会社になるしかないと思っています。僕らベンチャーが成功してGoogleやAppleのような会社になれば、人が定着し残ることにつながります。それが成されないと、地域に対して何もできないと思っています。そのためにまずは、会津から上場企業第1号を出しましょうと言っています。

また、僕が起業するときに一番困ったことはファイナンスです。地元にファイナンスに関する知識経験がある人が全くおらず、もちろんお金の出し手もいない状況でした。会津大学は「シリコンバレーをつくる」「起業させる」という原点があるのだから、外部の人にやらせるのではなく、学内でファイナンスの支援や、学生が起業した後の面倒を見られるような人的サポートが必要なのではないかと考えています。今は国立大学も変わりつつあって、東大も東北大も学内にVCやインキュベーションの施設を持っています。お金も人も出してくれるし、いろんなところで手厚い支援している状況です。会津大学は日本でトップのコンピュータサイエンスの専門大学なのだから、コンピュータ技術に特化したファンドをつくり、全国の企業から資金集めてきて、それを先生・地元の起業する人間に対してファンディングするくらいのことをしてもいいのではないでしょうか。公立大学法人として独立化しているので本来そういうことも自由にできるはずですし、今後2、30年先を見据えて変革していける部分なのかなと思っています。

Q.30年後の社会はどうなっていると思われますか。また、その中で会津大学に期待することはどのようなことでしょうか?

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30年前のインターネットもまともになかった頃から、30年後の今は人がメタバースに入って世界に対してビジネスをやりますというように、完全に変わっています。この先の30年も、ものすごい変化が起こるはずです。

大学は基本的に人材を育成する機関なので、まず人を育てて出すということ。その育てた人が東京に出ているところを解消しなければならないし、地元に残すという責任があると思います。また、地元に対して経済的な影響を与える責任もあると思います。

これらの課題解決を、大学も、地元の人もしっかり考えて状況を変えていかなければいけないのかなと感じています。

僕には、他のベンチャーの人たちとまったく違うところがひとつあります。それは会津大学第1期生だということ。第1期生という看板は僕しか背負っていないわけだから、そこで、この会津で結果を出したいと思っていますし、そこから良い連鎖を生んでいければと思っています。

久田様、ありがとうございました!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。全10回に渡る外部有識者の皆様のインタビュー報告、いかがでしたか? 

さまざまな視点・角度からのお話をもとに、改めて会津大学の存在意義や価値をとらえていけたらと思います。ぜひ、皆さんで一緒に考えていきましょう。

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