会津三十三観音札所巡り(第一日)

〜 会津盆地を歩く(平成十六年) 〜

本日のルート:県道64号国道49号広域農道県道69号県道7号県道121号県道61号県道21号大木観音塩川広域農道県道61号新宮熊野神社県道336号県道16号松野観音県道336号県道16号綾金観音高吉観音県道21号喜多方駅
09:35 出発.天候は晴れ.雲はない.県道64号途中には,辮才天( べんざいてん)と一里塚がある. 右の写真は松窪あたりから会津盆地と磐 越自動車道(会津若松IC方向)を眺める.
とんぼが結構飛んでいる.
松窪から会津盆地と磐越自動車道(会津若松IC方向)
県道69号途中.巳待供養塔(場所). 参考リンク
道標にもなっていで, (b)「左たけや(竹屋)」, (d)「右○○.○○る道」, (c)「○...○構中」等が書いてあるようだ.
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県道69号途中.難波(なにわ)分館にて(場所). 右は厩山(うまやさん),左は(陸軍)従軍記念碑である. 厩山の石仏は,天保六年に作られたようだ(d).従軍記念碑は 明治丗七八年○とある(丗は30を表す). xxxx
県道69号途中.住宅地にある巳待供養塔.安永二癸巳年(b),三月吉日(c)とあ る.ちなみに安永二年は 1773 年だ. xxx
県道69号途中.写真は広田郵便局のちょっと先で保育園手前あたり(場所). 進行方向に向かって右側. 道標.「左熊倉」,「右冬木沢」とある.ただ,地図からは冬木沢の地名は見 つからない.熊倉は,喜多方市内にあり,昔の米沢街道の宿場町だ.熊倉には 第七番札所もある. xx
上と同じ場所.ただし,左側.左から名号塔(みょうごうとう)(念仏供養塔), 巳待供養塔,名号塔である.右側の名号塔には,宝永二年と見える.1705年だ. ちょうど300年前のもの. xxxx
県道69号途中.島あたり. 北三丁分岐,東猪苗代街道,西○○熊倉街道と見える. xxxxx
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第一番
紅梅山
常安寺
十一面観世音
大木
y12:50 大木到着.3時間以上かかってしまった. 御朱印を壇家さまから頂く.
よろづよの ねがいおゝきの くわんぜおん
あのよとともに たすけたまえや
右は奉納されていた御詠歌.
御詠歌
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新宮熊野神社
長床
yy今回は、二番札所へいく途中にある長床へ立ち寄ることとした。ここは、大き なイチョウが有名なようで、昨年(2003年)の秋に、テレビ中継されていた。 長床と呼ばれる左の写真の建物は,実際には,神社の拝殿である.
13:32 長床到着. 14:05 長床出発.
左:神社入口.右:入口あたりから拝殿(長床)を望む.入口から入ると左手に 受け付けがある.そこで,御朱印も頂ける.神社入口入口あたりから拝殿を望む
左から:熊野神社解説,長床復元之碑,長床解説1,長床解説2. 熊野神社解説長床復元之碑長床解説1長床解説2
大イチョウと解説.このイチョウは直径が1m位は ある.大イチョウx
拝殿の奥にある本殿.中央が本社新宮証誠殿,左が末社那智山飛龍権現,右が 末社本宮十二社権現.右は本殿の解説.本殿本殿解説
本殿の所にある灯篭.最初の2つが 1つの灯篭,後ろの2つも1つの灯篭.文化五戊辰年(1808)と読める. 約200年前の奉納ですね. 左の灯篭は六沢村の仲右門という方,右の灯篭は同じく六沢村のようだが, 六澤村と書かれた善○○という方が奉納されたもよう.xxxx
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第二番
物宝山
良縁寺
千手観世音
松野
y14:36 第二番札所松野到着.長床から30分ほどで到着する. 長床に寄らない場合には,大木から1時間ほどで到着する.
観音堂には,御近所の壇家様または良縁寺にて御朱印が頂けることが書かれて いるが,壇家様の方は正確ではないことが近くで農作業をされていた人に聞い て判った.その農作業をされていた方は,御朱印の当番の壇家様の家は,今日 は天気が良いから農作業に出ていていないだろうと言っておられたが,たしか に家に行ってみたものの,不在だった.また,良縁寺の方も不在だった.
このあたりは磐越西線の音がするようだ.
14:41 第二番札所松野出発.
後日,御朱印を頂くことができた(12月4日).
あさひさす ゆうひかがやく おやま(でら|じ)
まつののさとに はるるうすぐも

(観音堂にある奉納された歌,未確認)
松野観音堂のところにはいくつか石仏がある.右は 厩山(うまやさん).三月十七日と読める. xx
右の石仏も松野観音堂のところにあるもの.左から「湯殿山」「湯殿山百度」 「庚供養」「庚申供養」「庚申塔」「奉寄進石灯篭(二基)」とある.石仏
「湯殿山百度」の石仏は右側に文久三癸亥年(1863年)とある(左). この石仏の正面下には,その当時の方の名前が彫ってある ものが見える(右). xx
「庚供養」.右の写真からでははっきりはしないが,天保とも読めるかもしれ ない.もしそうだとすると天保元年の干支が「庚寅」なので,天保元年かも.xx
この「庚申供養」は,寛政までは読めるので寛政十二年(1800年)のものと 思われる.「庚申供養塔」については ここが参考になる. xx
この「庚申塔」についても年を読むことは難しいが, 「天」「六」「午」という漢字があるように見られることから 「天明六丙午年(1786年)」の可能性がある. xx
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第三番
長流山
金泉寺
十一面観世音
綾金
y15:40 綾金観音到着.ひざも少し痛くなってしまったが,1時間 ほどで到着.
今回,御朱印をくださったのは,壇家様の家の小学校中学年くらいの男の子だった. きちんとした対応で,判子を押してくださり,感謝.
15:45 出発.
つゆのみ(の|は) ゆめまごろしの よのなかに
みをあやがねと いでいのるらん

右は観音堂に奉納された御詠歌の一部である. 始まりの箇所で「つゆのみの」と「つゆのみは」と異なるものがある.
(観音堂にある奉納された歌,確認済)
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第四番
吉例山
徳勝寺
十一面観世音
高吉
y16:00 高吉到着.15分程の歩き.
御朱印を壇家様より頂いたのち,16:10 に喜多方駅へ向けて出発.
かきわけて まいりておがむ たかよしの
ほとけのひかり みちぞかがやく

(観音堂にある奉納された歌,未確認)
ここの観音堂のように,イチョウが観音堂の近くにあることが多いですね(左). 右は札所入口にある柱. イチョウ札所入口にある柱
左2つは厩山(うまやさん). 右2つは,金毘羅山(こんぴらさん).金毘羅山の石仏は,ここで初めて見た. 厩山も金毘羅山も文字の彫りが平面的である特徴がありますね. 厩山は,慶應三丁卯年(1867年)で幕末(慶應三年の次の年は明治元年). 金毘羅山は,安政?三丙?辰?年(1856年?)だろうか? xxxx
16:27 喜多方駅到着.17分程度の歩き.しかし,すぐに列車がないので困ったので,バス乗り場 (駅のすぐ先)へいくとちょうど,16:30 のバスがあった,そのバスで会津若松へ.
17:24 に会津若松駅へ到着.
17:40 に会津若松駅発のバスで帰宅.

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