会津三十三観音札所巡り(第七日)

平成15年12月6日

この日は,大岩(27番)の近くまでバスで行き,その後,富岡(26番),領家(25番)と回り,会津高田町内の町中にある高田(28番)と番外の浮身を回った.
大岩第二十七番
牛伏山
仁王寺
聖観世音
大岩
大岩御朱印08:30 会津若松バスターミナル発,高田・落合行きバスで,冑まで.このバスは,永井野以降は,自由乗り降りバスとなるので,西本郵便局で降ろして貰う (09:20頃).郵便局の左手の道を進む.2〜3分進むと民家を離れる.舗装されていない道となるが,すぐにまた舗装された道になる.これはほぼ登りでつづら折りの道だ.25 分程歩くと,一見,突き当たりのT字路となる.

実は,その先からは,登山道が続いている.大岩観音と明神ヶ岳へ行く道だ.その登山道を5分程歩くと大岩観音だ.

観音堂の左手は,壁一面が一つの大岩となっており,まさしく,「大岩」と言える.

大岩観音へのつづら折りの登り道の途中で,一人の老人に,「大岩観音への道はこの道で正しいか?」と確認をしたところ,正しいと教えてくれた上で,「誰も住んではいないよ」と教えてもらう.インターネットで調べても廃村となったことらしいことが分かる.

西本郵便局のところにある道標.27/Douhyou01-2003-12-06.jpg
つづら折の登り道の途中にある道標.大岩も菅沼もすでに廃村らしいですが.27/Douhyou02-2003-12-06.jpg
つづら折の登り道が終り,登山道にはいる所.道標. 大岩観音と明神ヶ岳登山道入口は同じです.27/Douhyou03-2003-12-06.jpg27/Douhyou04-2003-12-06.jpg
観音堂に掛かっていた絵馬2つと御詠歌.絵馬の「(当村|当所|當所)女連中」ということばに注目してしまった.昔は,そういったことば使いで,「婦人会」位の意味だったのだろうか.

題材は,大和神話の「天岩戸隠れ」と娘さんの行列(第26番札所の富岡観音堂では,村の新妻が白装束で一団となりお参りするのが習わしらしかったので,それと同じかも)のようだが,感覚的に面白い.

絵馬の中の「年」という字は,字「年」の本字で,上が「禾」,下が「千」という字だと思う(ちがうかも).それは,UNICODE では,「」(秊)として表現される.

27/Ema01-2003-12-06.jpg27/Ema02-2003-12-06.jpg27/Uta-2003-12-06.jpg
                                          27/23yato01-1-2003-12-06.jpg27/23yato01-2-2003-12-06.jpg27/23yato02-1-2003-12-06.jpg27/23yato02-2-2003-12-06.jpg27/23yato03-2003-12-06.jpg
いくつかの廿三夜塔を見つけたので紹介をしておく.左の2つは,観音堂の手前にあるもの.「元文五年」と読めるか.とすると1740年のものですね.その次の2つは,観音堂の左手の大きな岩の下にあるもの.「九月廿三日{大岩|菅沼}村講中」と読める.一番右のものは,つづら折の登り道の途中にあったもの.

歴史があったのですが,廃村になったのはとても残念ですね.

観音堂の近くには,実は,日清戦争で亡くなったと思われる墓がある.上の左側の廿三夜塔の近くだが,廿三夜塔よりも立派です.この部落から出征して亡くなられたのか.もう少し,こういったお墓を,社会に紹介して,皆に知ってもらうことは大切かと感じている.
下りも25分程かけて,西本郵便局まで戻る.そこから,さらに,15分程歩いて仁王寺へ.そこで,御朱印を頂く.
富岡第二十六番
日用山
福生寺
十一面観世音
富岡
富岡御朱印仁王寺から徒歩40分程で,富岡観音堂へ到着.この観音堂は,国指定・重要文化財だからか,観音堂に札を貼ってはいけないようだ.貼ってもよいところが別にある.

観音堂と観音様の解説.観音堂は国指定の重要文化財,観音様は坐(座)像で,町指定の重要文化財.26/Kaisetsu-2003-12-06.jpg
絵馬2つ.山門.山門も立派ですね.かなり大きいわらじであります.26/Ema01-2003-12-06.jpg26/Ema02-2003-12-06.jpg26/Sanmon-2003-12-06.jpg
山門の中にあるスタンプ...実は,これを見たとき,御朱印がこれだと思いとてもショックでした.一応,押したのですが,うまく写らなかった.

次の領家で,壇家様に御朱印を頂いたときに,「富岡の御朱印は街のお寺で貰える」と教えて頂きました.しかし,どこの寺かよく分からなかったので,もう一度,富岡まで戻り,歩いている方に聞いたところ「龍興寺」で貰えると教えて貰うことができました.写真のスタンプが御朱印だったら,ショックが続いていたかも.写真のスタンプは,多くの人がハンコウを貰いにくるので,あそこに置いてあるとのこと.

26/Stamp-2003-12-06.jpg
記念ゴムスタンプの印影.ほとんど写っていませんが.参考のため紹介をする. 富岡の記念ゴムスタンプ
領家第二十五番
延命山
常楽寺
十一面観世音
領家
領家御朱印富岡から5分程で,領家観音堂へ到着.ここから雨が降り出してしまい,あまり,写真が撮れなかった.

御朱印を貰おうと,近所の方に,どの家で御朱印が頂けるのかをお聞きしようとしたら,その家の方が,御朱印をくださるとのこと.非常に好運でした.さらに,その家で,上に書いたように,富岡の御朱印に関しても情報を教えて頂いた.

御詠歌と絵馬.絵馬は,芦の牧温泉のホテルの支配人が奉納したもののようだ.他の観音堂にも支配人が奉納した絵馬があるわけではなく,ここだけなので,この地が出身地かなにかなのだろうか.御詠歌はブレておりますが,これは,雨でよく撮れなかったと思ってやってください.25/Uta-2003-12-06.jpg25/Ema-2003-12-06.jpg
高田第二十八番
高田山
天王寺
十一面観世音
高田
高田御朱印富岡から30分程で,高田に到着.途中,伊佐須美神社の正面を通るが,寄らなかった.ただ,そこの出店で,大判焼きを購入.歩きながら食した.

厚生病院の正面がすなわち,高田観音堂のある天王寺の正門のようである.高田でも雨は降っていた.

観音堂の鰐口(わにぐち,観音堂の軒下にあって参拝するときに打ち鳴らす金属製の大きなカスタネットのようなもの)は,金婚式を記念として奉納されたものだった.

12月13日追記.12月13日に御朱印を頂く.雀林から若松へ帰る際に,高田の街からバスに乗るので,その時に,御朱印を頂く.御住職がたまたま外におり,御堂の鍵に掛かっていたが,中からすでに書かれている御朱印をくださった.

右の様なお知らせがあったが,御堂には鍵が掛かっていて入れず.誰もいらっしゃらないようなので,御朱印も頂けなかった.覗くと,確かに観音堂の中で,御朱印等が売られているようであった.28/Oshirase-2003-12-06.jpg
浮身番外
道樹山
龍興寺
十一面観世音
浮身
浮身御朱印高田観音から4〜5分程度で,浮身観音のある龍興寺に.

領家観音から高田観音へ向かう途中,街中で,「浮身観音移転」の看板があったので,移転をしたのだろう.

ここで,富岡観音と浮身観音の御朱印を頂く.ご住職が不在とのことで,御朱印帳に御朱印を頂くのではなく,すでに書いてある御朱印を頂いた.この日は,寒かったからか,ここの方は,お茶を勧めてくださり,暖かい部屋で体を温めることができた.大変にありがたかった.

その時の話で,会津観音札所巡りでは,御朱印を頂く習慣よりも,巡礼をした観音堂に名前を書いた紙(なんというのか忘れた)を貼る習慣があったということを教えて頂いた.確かに各観音堂には,ほぼ例外なく紙が貼ってある.ただ,御朱印を頂く方は以前は遠くから来た方が多かったが,最近では,近場の方でも御朱印を頂くようになってきたとのことであった.

下の観音堂の解説によれば,浮身観音堂のご本尊は,十一面観世音菩薩である.しかし,文献[1]には,聖観世音として,文献[2]には,秘仏観世音として記してある.混乱があるようである.

観音堂の移転についての看板.28bis/Iten-2003-12-06.jpg
龍興寺入口の看板(左).観音堂の解説(中).御詠歌(右).28bis/Kanban-2003-12-06.jpg28bis/Kaisetsu-2003-12-06.jpg28bis/Uta-2003-12-06.jpg
帰宅後,龍興寺には,国宝があることを知る.「一字蓮台法華経」だ.法華経の一字一字に,蓮華座がついているものだ.実際に文献[5](ふくしまの文化財【会津編】)の第1ページに「一字蓮台法華経」が飾ってある.お茶を頂いたときにも,これをスキャナで取り込んだ様な紙が確かにあった.そのお話しをすれば良かったと大後悔.ちなみに,会津にある国宝は,ここの「一字蓮台法華経」と札所十番の勝常寺にある仏像だけだ.

札所としては,番外に甘んじているが,龍興寺には,足を運んで大正解だった.

この日は午後より,職場で仕事があり,永井野 13:20 発,会津若松 14:00 着のバスに乗り込む.乗り込む前にセブンイレブンにて昼食を購入し,バスの中で食べる.

戻る


Copyright © 2003, 2004 by Kazuyoshi MORI (森 和好). All Rights Reserved.
Valid HTML 4.01!