この日は,大岩(27番)の近くまでバスで行き,その後,富岡(26番),領家(25番)と回り,会津高田町内の町中にある高田(28番)と番外の浮身を回った. | ||||||
第二十七番 牛伏山 仁王寺 聖観世音 大岩 | 08:30 会津若松バスターミナル発,高田・落合行きバスで,冑まで.このバスは,永井野以降は,自由乗り降りバスとなるので,西本郵便局で降ろして貰う
(09:20頃).郵便局の左手の道を進む.2〜3分進むと民家を離れる.舗装されていない道となるが,すぐにまた舗装された道になる.これはほぼ登りでつづら折りの道だ.25 分程歩くと,一見,突き当たりのT字路となる. 実は,その先からは,登山道が続いている.大岩観音と明神ヶ岳へ行く道だ.その登山道を5分程歩くと大岩観音だ. 観音堂の左手は,壁一面が一つの大岩となっており,まさしく,「大岩」と言える. 大岩観音へのつづら折りの登り道の途中で,一人の老人に,「大岩観音への道はこの道で正しいか?」と確認をしたところ,正しいと教えてくれた上で,「誰も住んではいないよ」と教えてもらう.インターネットで調べても廃村となったことらしいことが分かる. | |||||
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いくつかの廿三夜塔を見つけたので紹介をしておく.左の2つは,観音堂の手前にあるもの.「元文五年」と読めるか.とすると1740年のものですね.その次の2つは,観音堂の左手の大きな岩の下にあるもの.「九月廿三日{大岩|菅沼}村講中」と読める.一番右のものは,つづら折の登り道の途中にあったもの. 歴史があったのですが,廃村になったのはとても残念ですね. | ||||||
観音堂の近くには,実は,日清戦争で亡くなったと思われる墓がある.上の左側の廿三夜塔の近くだが,廿三夜塔よりも立派です.この部落から出征して亡くなられたのか.もう少し,こういったお墓を,社会に紹介して,皆に知ってもらうことは大切かと感じている. | ||||||
下りも25分程かけて,西本郵便局まで戻る.そこから,さらに,15分程歩いて仁王寺へ.そこで,御朱印を頂く. | ||||||
第二十六番 日用山 福生寺 十一面観世音 富岡 | 仁王寺から徒歩40分程で,富岡観音堂へ到着.この観音堂は,国指定・重要文化財だからか,観音堂に札を貼ってはいけないようだ.貼ってもよいところが別にある. | |||||
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第二十五番 延命山 常楽寺 十一面観世音 領家 | 富岡から5分程で,領家観音堂へ到着.ここから雨が降り出してしまい,あまり,写真が撮れなかった. 御朱印を貰おうと,近所の方に,どの家で御朱印が頂けるのかをお聞きしようとしたら,その家の方が,御朱印をくださるとのこと.非常に好運でした.さらに,その家で,上に書いたように,富岡の御朱印に関しても情報を教えて頂いた. | |||||
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第二十八番 高田山 天王寺 十一面観世音 高田 | 富岡から30分程で,高田に到着.途中,伊佐須美神社の正面を通るが,寄らなかった.ただ,そこの出店で,大判焼きを購入.歩きながら食した. 厚生病院の正面がすなわち,高田観音堂のある天王寺の正門のようである.高田でも雨は降っていた. 観音堂の鰐口(わにぐち,観音堂の軒下にあって参拝するときに打ち鳴らす金属製の大きなカスタネットのようなもの)は,金婚式を記念として奉納されたものだった. 12月13日追記.12月13日に御朱印を頂く.雀林から若松へ帰る際に,高田の街からバスに乗るので,その時に,御朱印を頂く.御住職がたまたま外におり,御堂の鍵に掛かっていたが,中からすでに書かれている御朱印をくださった. | |||||
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番外 道樹山 龍興寺 十一面観世音 浮身 | 高田観音から4〜5分程度で,浮身観音のある龍興寺に. 領家観音から高田観音へ向かう途中,街中で,「浮身観音移転」の看板があったので,移転をしたのだろう. ここで,富岡観音と浮身観音の御朱印を頂く.ご住職が不在とのことで,御朱印帳に御朱印を頂くのではなく,すでに書いてある御朱印を頂いた.この日は,寒かったからか,ここの方は,お茶を勧めてくださり,暖かい部屋で体を温めることができた.大変にありがたかった. その時の話で,会津観音札所巡りでは,御朱印を頂く習慣よりも,巡礼をした観音堂に名前を書いた紙(なんというのか忘れた)を貼る習慣があったということを教えて頂いた.確かに各観音堂には,ほぼ例外なく紙が貼ってある.ただ,御朱印を頂く方は以前は遠くから来た方が多かったが,最近では,近場の方でも御朱印を頂くようになってきたとのことであった. 下の観音堂の解説によれば,浮身観音堂のご本尊は,十一面観世音菩薩である.しかし,文献[1]には,聖観世音として,文献[2]には,秘仏観世音として記してある.混乱があるようである. | |||||
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帰宅後,龍興寺には,国宝があることを知る.「一字蓮台法華経」だ.法華経の一字一字に,蓮華座がついているものだ.実際に文献[5](ふくしまの文化財【会津編】)の第1ページに「一字蓮台法華経」が飾ってある.お茶を頂いたときにも,これをスキャナで取り込んだ様な紙が確かにあった.そのお話しをすれば良かったと大後悔.ちなみに,会津にある国宝は,ここの「一字蓮台法華経」と札所十番の勝常寺にある仏像だけだ. 札所としては,番外に甘んじているが,龍興寺には,足を運んで大正解だった. | ||||||
この日は午後より,職場で仕事があり,永井野 13:20 発,会津若松 14:00 着のバスに乗り込む.乗り込む前にセブンイレブンにて昼食を購入し,バスの中で食べる. |