航星日誌--宇宙歴 0406.0309


--バベル の 塔--

推奨 bgm. .David Sylvian. .Water front.

われわれは、ミカオンの ミクシオン (mixyon) エンジンが可能にする、 ハイブリッド・カオス・エタール航法によって、バベルへの航路を急いでいた。 亜空間飛行のせいか、なかなか寝つかれなかった。
それに、ミカオンとの出会いを思いだしてから、急に彼女に会いたくなっていた。
わたしは着替えて、彼女がいる部屋に行くことにした。
部屋に行くと、彼女は船体の奥深くからゆっくりと姿を現した。 それはまるで赤ちゃんが生まれる時のように、普段は口を閉ざしている穴を 押し広げるようにして頭から出てきて、上半身だけを現した。 久しぶりに見るとやはり不気味だ。しかしその登場の不気味さとは裏腹に、 ミカオンはとても美形で、陽気な声で話をする。

”やはあ、久しぶり。元気だった?”
”ええ。また淋しくなって会いに来たの?”
”いや、カオス航法のことでちょっと......”
”うそよ。そんなのデータに任せておけばいいじゃないの”
”はは。相変わらずだね。しかし、君いつも一人で退屈じゃないの?”
”わたしはここに乗ってる人のすべての状態を把握しているのよ。 退屈どころか疲れたわ”
”そうだった。でもとてもそんな風には見えないな”
”船長さんに合わせてるんだってば...(笑)”

そんなこんなの他愛ないトークのうちに眠くなったので、部屋に帰って寝てしまった。

次の日(この船では、母星と同じ昼夜の設定がなされている)、船はフレアス星の重力圏に入った。バベルの太陽フレアス星は、赤色巨星への進化を始めており、近年特にその活動を活発にしている。
バベルの周回軌道に乗ると、スキャナーにより星の表面を調査した。しかし生体反応はほとんどない。スキャナーを地下5kmまで深くした時、惑星の至るところに、地下都市が形成されていることがわかった。都市というより、人を含めたすべての動植物がそこで生活していた。わたしはアスターとともに、宇宙服で体を保護した上で、まず地表に降りることにした。

表面温度85'c, 2.5atm。酸素はあるものの、とても生物が生存できる環境ではない。海水は熱湯である。星全体が湯気のようなもやに包まれて見通しが悪い。地表は赤茶けて、コケのような植物以外生物は見当たらない。

例の建造物が確認されたので、船に戻った。それは、地中に大部分が埋もれており、 先のまるい円錐形をしていた。また、螺旋状にねじれたくびれが入っていた。 それにしても異常に大きく(D:26km x48km)、階層構造になっている。 超巨大な多目的ビルとでもいったところか。そのとき、一瞬ブリッジがざわめいた。

”船長、これを見て下さい”

スクリーンでは、地下の幾層にもわたってこの塔に入ろうと人や動物たちが渦巻状にとり巻いて、とてつもない行列を形成していた。1フロアーに数万人、それが数千フロアーも続いているのだ。何ということだろうか?
わたしは、ゼニーを連れてその行列の中に潜入することにした。

行列の中では、人々はテントなどを張り、順番を待っている。家族連れのものが多かったが、他に動物専用のフロアなどもあった。ありとあらゆる生物が、この塔の中に入っていく。わたしは、近くの年老いた男性に話を聞いた。

”わしらの太陽はな、もう駄目なのじゃ。この星も暑くてもう耐えられない。地下もいっぱいじゃ。この船が最後の頼みの綱じゃ”

彼らは生まれた星を捨て、安住の地を求めて旅立とうとしていた。そして彼らは人間以外のあらゆる生物をも、連れ出そうとしていた。そのために、これほど大きな船が必要だったのだろう。

わたしとゼニーはこの船の中に転送してもらった。そこは、動物たちのフロアーだった。見わたす限りの草原が続いている。すぐ近くには、ある種の鹿の親子たちがいた。親が子鹿をしきりになめている。

”あ、かっわいい! あたし鹿に触るの初めてなんですよ。”
”うん、君は確か宇宙(コロニー)で生まれたんじゃなかった?”
”ええ、だから動物珍しくて”
”でも、久しぶりに大地に立ったって感じだね”
”だけどここ52階ですよ”

ゼニーが微笑んだ。 わたしは、そよ風になびくゼニーの茶色い髪から、空に目を移した。
空といっても400m程の高い天井である。このようなフロアーが 100層程度も続いていて、各階層ごとに、全く異なる世界が展開されている。

数週間の後、この移民船は宇宙に旅立つこととなった。ミカオンのスクリーンには、出発間際の船内の様子が映し出されていた。やがて閃光とともに、惑星の地中から、大きな塔がものすごい噴煙を立ち昇らせて浮かび上がった。このとき、惑星の公転軌道がごくわずかに狂ったことが確認された。
それでも、その時の移民船の中は思ったより静寂で、中の人々にも戸惑いはない様子だった。この前の鹿は、黒い瞳を大きく見開いていた。

”よかったですね”

ゼニーが感動していた。わたしは子鹿の黒い瞳を見つめながら、移民船の中で出会った若者の言葉を思い出していた。

”わたしたちは、ずっと昔から動物を利用してきました。あるときは彼らの自由を奪い、ある時はその肉を食べてきたのです。ともに生きてきたといえば聞こえがいいですが、害になる動物は、積極的に滅ぼしてきたのです。やがてこの星にもう住めなくなった時、初めは必要最低限の家畜を連れていく計画でしたが、誰からともなく、この星で一緒に生きてきたすべての生き物を連れていこう。と言いだしました。この星の運命を本気で考えた時、この意見に反対するものは出ませんでした。
今回のことは、われわれ人類が初めて動物たちに対してできた、人間らしいことだったのだとわたしは思っています。”



back. . next. . out