-- 人格のコピー --


感傷的二元論でのべたように, 一元論のもたらす重要な帰結は, 肉体の死がすなわち我々の最期ということであった. いま一元論にしたがって話を進めてみよう. この場合, 肉体, より本質的にはこの我々の脳の持っている全情報こそが, 人格の全てと言えるだろう. それは, 単なる脳の静的情報だけではなく, 脳細胞の持っている運動特性等を原子レベルで 解析して得た情報の全てでなければならない. もちろん, この解析が実際にやれると言っているのではない. あくまでも思考実験としての話である.

しかしながら, 現実的にはそれほど厳密なデータをとる必要もないとも思える. なぜならば, 我々の脳は, 毎日膨大な数の細胞を失っているからであり, また, 刻一刻とその状態も変えているからである. 人と話しただけで, あなた脳は変化していることだろう. そしてうつろいゆくその全ての脳の状態が, 等しくあなたの人格, また自己だからである. こうしてみると, 数ある状態の中に含まれるたった1つの脳の状態を取り出せばよく, それには, 先にのべたような厳密な精度は必要ないのである.

いつ何時もあなたがあなたであるように, この情報は完全にあなたと同一視される. そのデータにしたがって仮に脳を再構成したならば, その脳は, 間違いなく あなたを名乗り, 経験を同じにして, 自分があなたのコピーだとも, また自分のコピーが他に存在するとも決して 思わないことだろう. この情報こそあれば. . . 実際, 一元論は必ずしも不死を否定するものではないのかもしれない. 突如として情報が心をよみがえらせるものなのかもしれない. それは, むしろ霊魂の存在よりもずっと過激な話ではあるが. . .

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99/06/25. .
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